2009年08月17日

万有引力 の巻

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 6月辺りから調子が悪くなってきていたのはわかっていた。

 ある日、診察の帰り道に新宿の山手線の駅にいた。4月に松沢病院から今の病院に移ったため、もう京王線八幡山駅とあの広大で独特の空気の流れる敷地、時間が滞ったような、現実感の無い待ち合いロビーが、もはや懐かしい。天井の低い、木造の古ぼけた病棟で隠れて煙草を吸ったことも、懐かしい。私は二人部屋に入居し、同室にいたおばあさんは痴呆なのか統合失調症のものなのかよくはわからなかったが、彼女は始終動かず何も発することなく横になっているだけだった。朝も昼も、静寂が支配しており、廊下を行き交いする他の患者とナースの足音が際立って聞こえるくらいだった。私は、殺してやろうとひたすら妄想していたが、まもなく退院した。
 現在の病院は新宿にあるのではないが、西口から別の路線かバスに乗り継いでいくため、帰りはJR新宿駅の中央西口から山手線のホームへと向かうのが一番短い距離で、そこから階段を上がると、必然的にプラットホームの先頭にたどり着く。夏なのに、寒くて私は冬用のベージュのセーターを着ていた。ただ、ぼんやりと並ぶ白線の描かれたところに立った。電車は先程階段を上がる途中に到着し、駅を出発したらしく、後発の電車が来るまでしばし私は待っていた。とにかく私はぼんやりとしていてこの時分のことはもやのかかったようなもので、一人で何かをぶつぶつ言っていたような気もするし、笑っていたような気もする。
 緑色の線が入った銀色のかたまりがシューッとやってきた時、私はそれを見て飛び込まなければならない、と本能的に思った。否、思うというよりも、万有引力や潮汐力のようなもので、まるで引っぱられているようだった。薬局でもらってきたばかりの薬が鞄に入っていることも忘れていた。飛び込もうとした瞬間、誰かに止められて、私ははっと気が付いてどうしていいのかわからず、そこから逃げた。
 最寄の駅までの路線は、始発駅から出発するので電車はじっと私が乗り込むのを待っていた。平日の午後の、ラッシュ前の電車は比較的空いており、私は特急に座ることができた。眠ろう眠ろうと思って目をつむって眠りと覚醒の中間辺りをうろうろとしていると、駅に到着した。ホームに降りる時、「無事着いた」ことを確認すると、急に「山手線」の件を思い出して猛烈に後悔した。その後も、幾度となく後悔を繰り返して今に至り、のうのうと生きているわけである。

 私は「死にたいのか」「生きたいのか」ということを、何度も自問し明確にしようと努力した。その度に、答えに悩む。「生きちゃってるし、死なないし」という本があるが、私はあまり共感はしなかった。ただ、彼あるいは彼女たちの、人生に対する放棄という姿勢は、絶望を通り越したものなのだろう、陳腐な表現だが「かわいそう」である。例えば人は悲しみや辛さと遭遇した時、誰かに電話をかけたり親しい仲の人に慰めてもらったりするわけだが、彼らは一人ぼっちで−中にはわざわざそれを報告する人もいるそうだが−リストカットやオーバードーズをする。腕や手首を刃物で切ったり、薬物を過剰に摂取したり、それらは肉体的に痛みを伴うのは当然であるが、なぜそこまでして自分を痛めつけるのか理解できない。無論、これはごく一般的な見方で、推測ではあるが回数を重ねるごとにそれが一種の習癖になっていき、おそらく彼らにとってそういった行為は人間が顔を洗うのと同じような感覚なのだろう。そういう意味ではアルコール依存症と相似を見出せるが、依存には「身体的依存」と「精神的依存」に二分されると禁煙の本に書かれており、アルコールに関しては前者が強いのだろうから、厳密に言えば異なる。(ちなみに、喫煙者に関してはどちらか一方である場合、複合している場合とあるそうだ)自分自身について話を戻せば、「死ぬべき人間」であることは間違いないと思っている。右頬をぶたれたら、相手の両頬を殴るような人間だからだ。
 フェデリコ・フェリーニ監督の有名な作品で、「道」という映画がある。主人公の女の子が落ち込んでいる時に、出会った綱渡りの道化師に
「この世の中に役に立たないものなどないんだよ。例えばこの石ころにだって、何かの役に立っているんだ」
と説くシーンがある。キネマ旬報の評論によると、女子大生にアンケートをとったところ、映画の中でこのシーンに感動したという意見が非常に多かったそうだ。私はこの映画に関して、それまで粗暴で暴力という未熟な感情表現しかできなかったザンパノが、伴侶を失ったことに気付き、初めて「泣く」ラストのシーンが好きだ。それは、ザンパノが人間として覚醒することを意味するからだ。

 それはともかく、私は誰かの役に立っているという自信が無いし、そういうのは明確な方法で証明できないだけに厄介な問題だ。根詰めて考えると「役に立っているかいないか」という疑問自体が意味不明というか、役に立っているかどうかで人間の価値が決まり、生きる資格が与えられるというのか、というところにたどり着くのではあるのだが、役に立っていなければならないという道徳観が強まって強迫観念になっているのは、極度の完璧主義者かあるいは病的な自信の欠損から来るものではないかと、なんとなく考える今日この頃。
posted by ようこ at 10:13| 神奈川 曇り| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月11日

臨死体験 の巻

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 本日未明、やや大きな地震があった。先日も比較的大きな揺れの地震が起きたばかりだ。私は地震が来るたびに、揺れの始まりを感じるたびに、これが後世にも語られる大地震になるのではないか、この揺れが次第に大きくなり、家が崩壊し、街は壊滅状態になるのではないか、という思いを巡らせる。そして、私の脳内では、瓦礫の下に潰される自分の姿が映し出される。これらの作業がほんの2〜3秒の間に、行われるのだ。こういう癖が出来たのは、やはり阪神淡路大震災の影響が大きかったのだと思う。1995年の冬のことだから当時私は10歳で、小学4年生になる年だったと記憶している。その頃はまだ嗜好品としてテレビは機能しており、映し出される甚大な被害の映像の数々は、私のみならず多くの人々に衝撃を与えただろう。
 日本は世界でも珍しい、地震の多い国だ。これは大陸のプレートがいくつも重なり合った場所にこの国がたまたま生まれたというわけで、地震はプレートがプレートにのめり込んでいく際に起こる。それが無理な圧力になって、ポン、とはじけると大規模な地震が発生する。言い換えてみれば、地盤の溜まったストレスの放出とでもなるのだろうか、そう考えると自殺者の多い日本らしい現象だと思ったりもするが、これはあくまでこじつけに過ぎないし、随分昔に読んだ本の知識なので、地震の仕組みについては気象庁などのサイトを参考にしてほしい。
 阪神淡路の地震が起きてから、多くの研究者たちが実際の状態を映像に再現したり、震度7レベルの地震を人為的に作った。人間は立つことすらできず、洋服ダンスなどの大きな家具は、足が生えているかのような動きで滑り、棚のモノが勢いよく飛んだ。震災の被害、つまり後遺症を、テレビにしろ新聞にしろ見ることはできるが、「当時の現状」を視覚化されると、一種の架空体験をしているようなもので、明日は我が身というのだろうか、地面に埋められた死者が手を伸ばして自分の足首をぐっと掴み、酷い勢いで引きずり込もうとしているような、そんな恐ろしさを覚えた。震災後も、多くのものを失った人々の姿や生活がブラウン管に映し出された。「かせつじゅうたく」という言葉を何度も聞き、「かせつじゅうたく」で暮らしている人は一向に減らず、何年か経た後に最後の入居者が去ったという報道があったのも、なんとなく記憶に残っている。もう14年も前の話だからマスコミは「あれからなんねんが経ちました」と逐一報道しなくなったが、毎年、1月17日になると私はこっそりと、明け方のまだ日も昇っていない世界で、これから振りかかる災難を知らずに眠りの中にいた人々の姿を想像する。

 あれ以来、他の都道府県でも大きな地震が起きたらしいのだが、テレビは見なくなってしまったし、幼い頃に植えつけられたイメージは鮮明で、それゆえに私は地震の揺れを察知した瞬間にこう問いかけるのだ、今死ぬかもしれない、それで自分は満足できるか、と。幼い頃は、無限の広がりを持つ闇に吸い込まれていくような恐ろしさが湧き上がったが、いつの間にか恐怖は消え、奇妙な安定感が生まれた。ここで人生を断ち切られても構わない、本棚の下敷きになって苦しみ悶えて死ぬという最期でも良い、そのような思いはいつ地震が来ても変わらなくなり、固定されてしまった。自殺願望とかそういったものではなく、自身の過去と未来を見つめる作業で、「死」を想定することによる、いわば肝だめしのようなものである。安直な首吊りなんかでは自ら死への道を断つことなど容易にできるから(と言っても意識が遠のいていったことはある)、所詮妄想の域を抜け出すことは出来ない。しかし、地震は天災であるから不可抗力であり、人知によって変えられるものではないので、現実味が増し「死」の輪郭がくっきりとする。そうやって「死」を見つめることによって、逆である「生」が浮き上がってくるのだ。

だからなに、と言われたらそれまでの話だ。
今日の地震が起きたのも大体似たような時間帯だったから、14年前と重なった。家がグラグラと揺れてモノが落下するさなか、私は何かに憑依されたかのように、一心不乱に写真を撮り続けていた。

自分にひげを書いた写真を。
posted by ようこ at 08:30| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

7月4日の日記 の巻

お父さんお母さんそのほか色んな人々、ごめんなさい。
世界が平和になるといいな、と思います。
posted by ようこ at 18:22| 神奈川 雨| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

寝る

今日はとてつもなくいい日だった。明日恐ろしいことがありそうでとても怖い。
posted by ようこ at 21:08| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 携帯から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月28日

厚塗りファンデーション の巻

親に怒られた。うちの親は理不尽なことでは怒らないので100%私が悪いのだけれども、もう荷物をまとめてこの家を出よう、と思った。家にいると、正確には両親が家にいると、自分がいかに不必要であるかを思い知らされるからである。しかし出たところで行くあてが無い、かくまってくれる友人などいない。
色んな意味で孤独だ。偉大な作家か誰かが、「自分を哀れんではならない」という言葉を残したけれども、自分以外に自分を理解出来る人はいないし、誰が自分を愛してくれるっていうんだろうか。別に誰かに愛されたいわけではないけれども、辛いんだね、大変だったんだねと同情されたかった。しかし誰も同情したがらないので、自分で自分を哀れむことにした。ああかわいそうな私。幼い頃から数字だけが自分の価値を決めていたよ、ああそうなんだ頑張っていたんだね、それほどでもないんだよ人に比べたらまだまだだと思うな、云々かんぬん。しばらく自分に同情していると、馬鹿らしくなってきたのでやめた。
行き先の無い私はどうすればいいのかな、と考えていたら、刑務所が思い浮かんだ。通り魔になる自分を想像したところで、いやいや、キミが刺されるべきなんだよ!と訂正した。第一、国の税金の無駄遣いだからね。正直、キミの存在が公害なんだよ、訴訟起こしたいくらいだよ!間違っているよ!キミは建設的に生きようなんて考えていたみたいだけど、それは間違ってる!通り魔にならなくてもキミは十分罪深いんだから、本当はキミを死刑にしてやりたいんだよみんな。ギロチンにかけて首がごろり、と転がるところが見たくて仕方ないんだ。ここだけの話だけど、中には八つ裂きにしてやりたいと願っている人だっているんだ。でもそれは人道的に問題になるからね、仕方なくみんな口を噤んで我慢しているんだよ!キミは全く空気が読めないんだな!

それにしてもくどい!厚化粧と変わらねぇ。眠いので寝る。
posted by ようこ at 19:49| 神奈川 霧| Comment(3) | TrackBack(0) | 携帯から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

笑止千万! の巻

死にたい、と嘆いている人に「あなたがいなくなったら、悲しいな」「一人じゃないよ、一緒に生きてみよう?」とか言っている自分。よくもまぁすらすらとそんなことが言えるものだ、口ばっかり達者で苛々する。最近はそんな自分を嘲笑うことで、自己嫌悪からなんとか逃れている。人が自ら命を絶つのは嫌だ。自分はどうでもよい。
posted by ようこ at 18:59| 神奈川 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 携帯から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

痕跡あるいは気配の消去 の巻

広義的な意味での報復について考えて、疲れる。

昨日は比較的安定していたけれども、母に酷いことを言われ(と言ってもうちはメールでしか会話しないうえに、ほとんどが一文か二文である)、猛烈に死にたくなる。家にある、全ての自分の写真及び書き物を処分していくことにする。自分という存在の痕跡を、形だけでも消す為。親のデジカメの中の私も悪いが勝手に消す。このブログも「痕跡」であるのでとっとと消そうと思うけど、時が満ちるまでは残しておく。疲れたのでこれから昼寝をする。
posted by ようこ at 16:16| 神奈川 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 携帯から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする